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広島高等裁判所岡山支部 平成5年(う)34号 判決 1996年3月29日

主文

原判決を破棄する。

被告人両名はいずれも無罪。

理由

本件各控訴の趣意は、主任弁護人山崎博幸及び弁護人水谷賢作成の控訴趣意書並びに弁護人水谷賢作成の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官大口善照作成の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意第一(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決は、被告人有限会社甲野酒販(以下「被告人会社」ともいう。)からB及びCを介して消費者に至る本件の酒類の販売の実態等をみると、B及びCは独立した商人であって、直接消費者に酒類を販売して、酒類の小売販売業を行ったもので、被告人AのB及びCに対する酒類の授受は卸売に該当し、被告人AのB及びCに対する酒類の販売は同人らの無免許酒類販売業の幇助に該当すると認定したが、B及びCは、独立した商人ではなく、被告人会社と雇用契約を締結した支配従属の関係にある従業員であり、本件の酒類の販売は被告人Aの指示した注文販売の方法により、同被告人の厳重な監督の下に被告人会社と消費者との間に行われたもので、被告人AはB及びCに対し店頭販売を厳しく禁止しており、同人らが被告人Aの指示に反した行為をしたとしても、それは同被告人の知り得ないことであるから、被告人AがB及びCの無免許酒類販売業に当たる違反行為を故意に幇助したことにはならず、被告人Aの行為は、小売に限る条件違反或いは無免許酒類販売業の幇助に該当せず、違法性も故意もなく、被告人両名は、無罪であるので、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

1  本件各公訴事実は次のとおりであり、原判決は同旨の事実を認定して、被告人両名を有罪とした。

被告人有限会社甲野酒販は、岡山県久米郡《番地略》に本店を置き、同所を販売場として所轄津山税務署長から販売方法は小売に限る旨の条件が付された酒類販売業免許を受けて酒類販売業を営んでいたもの、被告人Aは、被告人会社の代表取締役として同社の業務全般を統括するものであるが、被告人Aは、被告人会社の業務に関し、B、Cの両名がいずれも法定の除外事由がなく、所轄税務署長の免許を受けないで、右Bにおいて、昭和五五年三月ころから同年一一月ころまでの間、多数回にわたり、岡山県真庭郡《番地略》所在の食料品雑貨店「セルフ乙山ストアー」において、Dほか多数に対し、清酒、ビール等の酒類を小売して販売し、右Cにおいて、同年一月ころから昭和五六年一月ころまでの間、多数回にわたり、同県上房郡《番地略》所在の食料品雑貨店「丙川商店」において、E(原判決の認定は、F)ほか多数人に対し、清酒、ビール等の酒類を小売して販売し、もってそれぞれ免許を受けないで酒類販売業を営むに際し、その情を知りながら

第一  《別表略》記載のとおり、昭和五五年三月二六日から同年一一月四日までの間、前後三九回にわたり、前記被告人会社の本店において、前記乙山に対し、被告人会社の清酒、ビール等の酒類合計一万一三四七・五リットルを代金四八九万七六五〇円で卸売りし

第二  《別表略》記載のとおり、昭和五五年一月一八日から同年一二月五日までの間、前後四八回にわたり、前記被告人会社の本店において、前記丙川に対し、被告人会社の清酒、ビール等の酒類合計六一一九・九二リットルを代金二八六万七一八一円で卸売りし

もって、津山税務署長の付した前記条件に違反するとともに、被告人Aにおいては、右B、C両名の無免許による酒類販売業を容易にしてこれを幇助したものである。

2  原審記録中の関係各証拠によると、本件各公訴事実中、被告人会社が、岡山県久米郡《番地略》に本店を置き、同所を販売場として所轄津山税務署長から昭和三三年六月二三日付けで「販売方法は小売に限る。」旨の条件が付された酒類販売業免許を受けて酒類販売業を営んでいたもので、被告人Aは、被告人会社の代表取締役として同社の業務全般を統括するものであること、被告人会社がB及びCとの間で、別表(一)、(二)記載の年月日に、同表記載の種類及び数量の清酒、ビール及びウイスキー等の酒類を授受(以下「本件酒類の授受」という。)し、右酒類の授受に関してB及びCが被告人会社に交付すべき金員が同表「卸売価格」欄記載の金額(ただし、別表(二)番号37の卸売価格欄に「五、五〇〇」とあるのは「五、四〇〇」、同表番号48の同欄に「五万一、九七〇」とあるのは「四万二、四〇〇」及び「九、六〇〇」である。)であることが明らかに認められ、右の点については、被告人両名ともこれを争っていない。

3  本件の第一の争点は、本件酒類の授受が卸売に該当し、被告人Aが前記酒類販売業免許の小売に限るとの条件に違反したかどうかである。

原判決は、本件酒類が被告人会社からB及びCを経て各消費者に移転した実態は被告人Aが意図した販売方法と大いに異なり、B及びCは独立した商人であり、被告人会社とB及びCとの間の本件酒類の授受は卸売に該当すると認定したが、当裁判所は、右に卸売に該当せず、被告人Aが小売に限るとの条件に違反することの認識のもとに卸売をしたものと認めることはできないと判断する。その理由は以下のとおりである。

(一)  酒税法九条一項において、酒類の販売業又は販売の代理業若しくは媒介業をしようとする者は、販売場ごとにその販売場の所在地の所轄税務署長の免許を受けなければならないとされているところ、前記被告人会社の酒類販売業免許に付された「販売方法は小売に限る。」という条件は、同法一一条一項により、酒税の保全上酒類の需給の均衡を維持するため必要があると認めて、右免許の効果を一部制限するために、その販売方法につき付されたものである。そして、卸売とは、卸売業者、製造者又は小売販売業者に酒類を販売することであり、小売とは、卸売に該当しない酒類の販売、すなわち、酒類の製造又は販売業についての免許を受けていない者に対し酒類を販売することをいうと解釈されている(全訂酒税法注解)が、一般には、小売は直接に酒類を消費者に販売することである。ただし、被告人会社に対する酒類の販売業免許においては、その販売地域や販売数量の制限はない。

したがって、本件についていえば、本件酒類が被告人会社からB及びCを経て各消費者に移転する過程での酒類の販売契約は、被告人会社とB及びCとの間で締結されたものか、被告人会社と各消費者との間で締結されたものであるかが問題となるのである。

そして、右の販売契約の締結当事者の確定には、<1>自己の計算のもとに売買の申込み及び承諾をして契約内容を取り決めたこと、<2>酒類の代金を受領したこと、<3>酒類の現物の引渡しをしたこと、<4>その具体的な方法、場所等がその判断の要素になる。ただ、本件においては、検察官も公訴事実において、本件酒類の授受による販売契約が締結されたのは被告人会社の当時の本店(岡山県久米郡《証拠略》)においてであると主張しているので、これを前提にする。

(二)  原審記録及び当審における事実取調べの結果によると、被告人Aの経歴及び被告人会社の酒類販売業の経緯、本件前の酒類販売方法、被告人会社とB及びCが本件酒類の授受をするに至った状況、被告人が意図した酒類の販売方法、本件酒類が被告人会社からB及びCを経て各消費者に至る経過等にみられる販売形態の実態は以下のとおりである。

(1) 被告人Aは、岡山県内の高校を卒業後、大阪市で約一年間繊維会社に勤めた後、昭和四二年三月専門学校無線通信科を卒業して通信士になり、八年間外国航路の通信長として働き、昭和五〇年六月ころ、清酒の製造及び安売りを行っていた福島県東白川郡棚倉町に本社のある丁原株式会社(以下「丁原」という。)に販売担当の社員として入社し、岡山県下での販売を担当する駐在社員として、岡山県真庭郡《番地略》の自宅を拠点とし、丁原が製造する清酒の安売り販売に従事するようになった。

被告人Aは、昭和五二年二月四日、久世税務署に対し、自宅を販売場とする酒類の販売業免許の申請をしたが、一向にその免許がされず、丁原が同年に戊田酒造株式会社(以下、これも「丁原」という。)に商号を変更した後も同様の駐在社員として勤務し、昭和五三年一二月には、同会社との間で、同会社が販売する酒類の保管、配送及び代金の集金等の業務の委託を引き受ける旨の業務委託契約を締結し、同様の営業活動を続けた。

被告人Aは、昭和五四年三月、岡山県久米郡《番地略》に本店のあった酒類の販売業免許を有する有限会社甲田商店を買収し、独立して酒類の小売販売業を始めることになったため、丁原を退社したが、同年五月、有限会社甲田商店を有限会社丁原酒販(以下「丁原酒販」という。)に商号変更するとともに、自ら代表取締役に就任し、その後、昭和五五年四月に有限会社甲野酒販(以下「甲野酒販」という。)に商号変更した(以下「被告人会社」とは、丁原酒販及び甲野酒販の双方を含む。)。

被告人会社は、同年六月一二日、津山税務署長に対し、前記の「販売方法は小売に限る。」旨の条件解除の申請をしたが、その解除処分がされなかったため、国税庁長官通達により定められた処理期間の二か月間を大幅に遅延しているとして、同年一一月一二日、津山税務署長を被告として、不作為の違法確認の訴えを提起した。

なお、昭和五七年三月三一日の本件起訴後、右の条件解除の申請に対して、同年四月一四日付けで、条件解除拒否の処分がされた。そこで、被告人会社は、同年六月二一日、右処分の取消しを求める訴えを提起した。また、被告人会社は、昭和五七年八月三〇日、久世税務署長に対し、酒類販売場の移転許可申請をしていたが、前記の昭和五二年二月四日に同税務署長に申請していた酒類販売業免許の申請を取り下げることと引き換えに、昭和五八年三月七日付けで、岡山県久米郡《番地略》から現在の被告人会社本店所在地に移転することの許可を受けた。

(2) 丁原の「駐在社員」という制度は、丁原の所在地外の地域の消費者に丁原の製造する酒類を安く販売するために、酒類販売業免許を受けていない者が右の販売に関与する方法として考えられたものである。それは、酒類販売に関する行為を、<1>酒類販売の誘引としての宣伝、<2>酒類の注文(申込み)と承諾、<3>販売酒類の保管及び配送、<4>販売代金の集金に分け、酒類販売については、販売場ごとに免許を要し、また、酒類製造免許を受けた者は製造免許を受けた酒類と同一の種類の酒類についてその製造場においてする販売については免許を要しないこと、右各免許については消費者の所在する販売地域及び販売数量は限定されていないことから、右の販売場又は製造場においては、販売契約の締結行為である<2>の酒類の注文(申込み)と承諾を行えば、その他の販売に関連する行為は販売場又は製造場の所在地以外で行っても、無免許販売行為に当たらないという解釈を基礎とし、丁原と雇用契約を締結した駐在社員が販売場又は製造場の所在地以外の各地に駐在し、<3>及び<4>の行為を行うものとするのである。

そして、駐在社員の給料は歩合給とし、丁原が各銘柄について定めた基準価格と各地の駐在社員が自主的に定めた消費者に対する小売価格との差額に各銘柄ごとの販売数量を乗じて算出され、その計算は各地の駐在社員が行い、消費者から集金した代金を本社に送金する際に、歩合給分を差し引く扱いとなっていた。もっとも、駐在社員の設定した小売価格が裁量の範囲を超える場合には、本社による規制を受けた。

また、丁原の販売方法は、いわゆる「はがき方式」と呼ばれ、その販売過程に駐在社員が関与するものであり、丁原本社において酒類の銘柄及び販売価格を記載したチラシの一部に酒類注文用の葉書用紙を印刷し、これを駐在社員に送付して、駐在社員がこれを駐在地の新聞折り込みで各消費者に配付し、消費者は右の葉書に注文内容を記載して本社宛に郵送し、ときには駐在社員が消費者から住所、氏名の記載された葉書を預かり、取りまとめて本社に送付し、右注文葉書が各駐在社員に送付され、駐在社員が所在地の酒類の蔵置所に保管中の酒類を注文者に配達し、前記のように歩合給を計算したうえ、集金した代金を本社に送付する方法であった。

被告人Aは、岡山県内における丁原の駐在社員の責任者であり、その指揮下に、G、H及びI外数名の本社と雇用契約をした駐在社員がいたが、丁原と右の駐在社員との間では、雇用契約書及び身分証明書(社員証)が作成されていた。

そして、被告人Aが有限会社甲田商店を買収し、独立して酒類の小売販売業を始めた際には、被告人A、その実弟J、妻K子、L子及び被告人Aが別に設立した空き瓶回収を目的とする株式会社乙野の社員らが常勤の従業員となったほか、右のG、H及びIの三名を被告人会社の歩合給の従業員とする契約をし、丁原の販売方法を真似て、チラシで酒類の安売り広告を行うなどして、被告人会社本社で電話による注文を受ける方法で消費者に清酒及びビール等の酒類を安く販売するようになった。

(3) Bは、岡山県真庭郡《番地略》所在の食料品雑貨店「セルフ乙山ストアー」(以下「乙山ストア」という。)の経営者Mの子で、同店を実質的に経営していたもの、Cは、同県上房郡《番地略》所在の食料品雑貨店「丙川商店」を経営していたものであるが、同人らは、被告人会社がチラシ広告中に、社員募集の広告をしているのを見たことなどから、かねて望んでいた食料品雑貨の販売と併せて酒類の販売ができるのではないかと考え、Cは昭和五四年一二月ころ、B父子は昭和五五年二、三月ころ、それぞれ被告人Aと面談し、酒類の販売に関与することになったものである。

被告人Aは、丁原の駐在社員当時、毎月のように同社の本社における販売会議に出席し、合法的な酒類の販売方法について研修し、判例等の資料も持っていて、相当の酒税法の知識を有し、前記のように、久世税務署長に対し、自宅を販売場とするための新たな酒類の販売業免許の申請をしていることでもあり、酒税法違反に問われることを極度に警戒し、しばしば所轄の税務署に赴いて疑問点を相談するなどしていた。

そこで、被告人Aは、それぞれC及びB父子と最初の面談をした際、C及びB父子の一人が被告人会社の従業員(社員)となって支配下に入り、被告人Aの指示に従うことが基本であることを強調し、<1>被告人会社が販売する酒類について、消費者から受けた注文を被告人会社に電話等で連絡すること、右注文に従い被告人会社から配送された酒類を注文者に配達すること、現金売りをして代金を集金すること、<2>社員としては毎月二万円の固定給を支払うこと、その外に、配送する酒類についてその都度定める販売の数量に応じた歩合給を代金集金分の内から支払うこと、歩合給が二万円をこえる場合には、固定給は支払わないことを取り決め、さらに、その際又はその後一か月に一回程度の販売会議を招集し或いは被告人Aが注文の酒類を配送した際に、<3>注文者に販売するために被告人会社から配送された酒類は、店舗が蔵置所とみなされないように配達車両に積み込んだままにして置くこと、店頭に酒類を陳列してはならないこと、仮に店頭に見本を陳列する場合には、空き瓶或いは封印のない見本を陳列すること、<4>行商や店頭で酒類を販売してはならないこと、急ぎの注文が入った場合で、自己の飲用分の酒類があれば、例外的に販売を許可するが、その場合も被告人会社に必ず連絡すること、<5>消費者に対する販売価格は、チラシ広告の価格或いは納品伝票に記載した奉仕価格を原則とするが、これより若干高めの価格であってもよいことをC及びBに指示し、同人らは、これを了承した。

なお、被告人会社がC及びB父子と前記のような合意をしたことに関し、雇用契約書及び身分証明書が作成されたかどうかが、問題になっているので検討する。

大蔵事務官(収税官吏)は、昭和五五年一二月一〇日C方を捜索して、被告人会社(有限会社丁原酒販)とCを甲乙両当事者名とする雇用契約書を差し押え、同日被告人A方を捜索して、Cの住所、氏名の部分以外は一方が他方のコピーであると思われる全く同じ記載の雇用契約書を差し押え、同時にC方で昭和五四年一二月二五日付けの被告人会社(有限会社丁原酒販)名で、Cが社員である旨記載された身分証明書を差し押さえたことが認められるところ、Cは、検察官に対する供述調書において、昭和五五年四月ころ、税務署員の事情聴取を受けた際に従業員であることの証明書類の提示を要求されたので、そのころ被告人Aに要求して右の雇用契約書及び身分証明書を受け取った旨供述し、原審証人N子の証言、被告人Aの原審及び当審公判における供述中にもこれを裏付ける部分がある。そして、被告人Aは、昭和五六年二月、Mに対する酒税法違反事件について、大蔵事務官の取調べを受けたが、前記の大蔵事務官の強制調査開始後、従業員の身分を証明する書面を他の帳簿類とともに焼却したと思い、同年三月ないし四月ころ、被告人会社とCとの間の雇用契約書等の被告人会社保有分のみを昭和五五年三月一五日に日付を逆上らせて作成して、その後捜査中に取調官に提出したことがあり、このことは、被告人A自ら検察官の取調べの途中から供述し、原審及び当審公判を通じて認めているところであって、前記強制調査開始後数か月内に二度も雇用契約書を作成して仮装することは考えられないので、前記のC方及び被告人A方で差し押えられた各雇用契約書及び身分証明書は前記の強制調査前に作成されていたものというべきであり、Cの前記供述は採用できる。

また、B父子に関しては、雇用契約書は現存せず、証人B及び同Mは、原審において、雇用契約書を作成したことはない旨の証言をしているところ、被告人Aは、検察官に対する供述調書、原審及び当審公判において、最初に湯原温泉のホテル「ニュー丙山」でB父子と会って被告人会社の酒類を販売する方法を説明して、同人らのうち一人が社員になることを了承したので、雇用契約書及び身分証明書を作成することになったが、Mから名義だけは同人にしてほしいとの要望があったので、同人名義で作成したものの、B方に対する強制調査後、二年経過している帳簿類を妻に焼却させた際に、一緒に焼いてしまったものと思う旨供述しており、原審証人Oも、社員契約をするということになって、父親名義にするということになった旨被告人Aと同旨の供述をしている。大蔵事務官による昭和五五年一二月一〇日の被告人A方の捜索において、Mは被告人会社(有限会社丁原酒販)の社員である旨記載された身分証明書が差し押えられており、これは同年一一月五日のB方の強制調査後に被告人Aの妻によって作成されたものであることが窺われるが、本件酒類の授受を行っていたのはBであるのに、右の身分証明書がM名で、同人の住所、氏名はゴム印で記名され、その名下には実印風の印鑑さえ押されていることからすると、その作成にはM本人も関与したことが窺われ、Mの要望により社員の名義を同人にすることになったという特異な状況を述べる被告人Aの供述がこれに符合しているので、前記のCの雇用契約書及び身分証明書も作成されていない時に、ホテルで初めて面談した際に雇用契約書を作成したというのはいささか疑問ではあるものの、Mについての雇用契約書が作成されたと認める余地がある。

いずれにしても、以上の経緯からすると、C及びB父子の一人(形式上はM)を被告人会社の社員とする旨の契約が双方の間に成立したものと認めるのが相当であり、本件酒類の授受は被告人会社の年間総売上げの五パーセント未満で、被告人会社は、この外に、直接飲食店や労働団体などとの相当量の酒類の取引をしていたのであるから、酒税法違反になった場合の被告人会社及び被告人Aの不利益を考えると、これを一概に仮装の合意であるということはできない。

(4) そこで、Cは、昭和五五年一月ころから丙川商店で、Bは、同年三月ころから、父Mの経営する「乙山ストア」で本件酒類の授受に関与することになり、別表(一)はMの酒税法違反事件で大蔵事務官の強制調査を受けた同年一一月五日までの酒類販売に関するもの、《別表略》はCが酒税法違反事件で大蔵事務官の強制調査を受けた同年一二月一〇日直前までの酒類販売に関するものであるが、その後も、Bは昭和五六年一〇月ころまで、Cは同年一一月ころまで同様の酒類販売に関与しているので、以下にはその実態を検討する。

(a) 販売契約の締結行為である酒類の注文(申込み)と承諾

被告人会社がC及びB父子と合意し、被告人Aが指示した販売方法の基本は、消費者から受けた注文を被告人会社に電話等で連絡すること、被告人会社が右の注文を受けた酒類の種類及び数量を配送してCらを介して注文者に配達することにあった。そこで、被告人会社は、チラシ広告(「良い酒をより安く消費者へ」の大見出しのもある。)の最下段に、「お問合せは下記支店迄どうぞ」と記載したうえ、Bについては、八束支店或いは蒜山支店、Cについては、北房支店として、各支店名と電話番号のみを掲載して新聞折り込みで配付した。本件酒類の授受を始めたころは、乙山ストア及び丙川商店にすでに設置されていた電話を利用して、B及びCらが客から注文を受け、これを電話で被告人会社の本店に取り次いでいたが、時期を確定する証拠はないものの、しばらくして後、被告人Aが通信士としての経験から通信装置の技術を知っていたので、乙山ストア及び丙川商店に追加の電話機一台と転送装置を持ち込み、二台の電話機を使って、電話がかかってきても受話器を取らなければ、そのまま本店に通ずるように簡易な転送電話に工作し、その後、乙山ストアは昭和五五年一二月二四日、丙川商店は同月一七日、追加の電話機を正式の着信専用電話に替えて転送電話装置を設置し直し、チラシ広告には、蒜山支店、北房支店及び被告人Aの住居地である久世支店の電話番号として右の着信専用電話の番号を掲載し、「各支店への電話は本店に自動的に転送されます。」と付記した。もっとも、原審証人Bの証言によると、前記の簡易な転送電話装置は酒類の注文以外の利用に不便なため、必ずしも酒類の注文をそのまま本社に転送する方法で利用されたことは多いとはいえない。

そして、被告人会社が注文の酒類を配送するに当たり作成した納品伝票(控)(用紙は時期によって異なる。)をみると、別表(一)については、番号11、16ないし18、21、24、26、27、29、34ないし37及び39について注文者である客の姓或いは姓名が連記され、配送明細、配送分との付記のあるものもあること、《別表略》については、番号10、15、16、23ないし25、27ないし30、32、35、38ないし40及び46について同様に注文者である客の姓が連記され、配送明細、納品明細、配送分等の付記のあるものもあること、被告人会社本店の事務員であったL子は、電話による注文を受け、一旦メモしたうえ、売上帳に酒類の種類、数量、価格等を記入していたが、その内容は納品伝票(控)等の伝票の記載と一致していること、《別表略》記載の卸売年月日は被告人会社から配送された日であるが、その間隔もまちまちで不定期であり、一か月に二回だけの場合もあり、酒類の種類及び数量もまちまちで、不自然な端数もある(原審証人B及び同Cの各証言によると、田舎では清酒は一〇本単位で注文する者が多いというのであるが、それでも一の位の端数がある。)ことなどからすると、これらは原則としては、B及びCが客から酒類の注文を受け、これを電話で被告人会社の本店に取り次いで販売が行われたものと解される。原審証人B及び同Cの証言によれば、Bらが店頭で受けた注文を当初はその都度電話で被告人会社に連絡していたが、そのうち、数日分をまとめて連絡することもあったことが認められ、その連絡がルーズになる傾向があったこともあるが、右納品伝票(控)に記載のない場合にも、被告人会社が消費者名や注文内容を把握していなかったとはいえない。なお、別表(一)、(二)の中には、被告人会社で配送後に、コンピュータで作成した納品書はあるが、納品伝票(控)の見当たらないものもあり、《別表略》番号14、19、《別表略》番号41などは客は一名であった可能性もある。そして、卸売であれば、ほぼ定期に、客の購入見込みの種類及び数量を予想して注文し、末端の客の姓までも卸売店に通知することなどないであろうと考えられるので、被告人会社は、原則的にはBらを介して客の名前と客から注文を受けた酒類の種類や数量をほぼ正確に把握していたものと認められ、右のような原則的な方法で行われた販売を単純に被告人会社とB及びCとの卸売販売であると断定することはできない。

原判決は、被告人会社では、Bらが客から注文を受けた酒類の種類や数量を正確には把握しておらず、納品伝票(控)に客の名前を記載したのがせいぜい三分の一程度にすぎないとして、本件酒類の授受が卸売であることの理由であるとするが、これは視点を誤ったものであり、納品伝票(控)に客の名前が記載されているのは、本件酒類の授受が卸売であることを否定する事情である。

Bが、《別表略》記載の期間中のある時期に、自家飲用の名目で或いは前記納品伝票(控)にも記名のある「丁川園」の名義で被告人会社に注文して配送を受けた酒類を保管し、乙山ストアに他の商品とともに陳列し、食料品等を買いにきた客などに販売したこと、Cが、《別表略》記載の期間中のある時期に、自家飲用の名目で被告人会社から購入した酒類を丙川商店に食料品等を買いにきた客などに販売し、或いは丙川の妻が食料品等の行商に行った際に同様の酒類を販売したことがあるが、このことは被告人会社との合意或いは店頭に酒類を陳列してはならないこと、仮に店頭に見本を陳列する場合には、空き瓶或いは封印のない見本を陳列し、行商や店頭で酒類を販売してはならないこと、急ぎの注文が入った場合で、自己の飲用分の酒類があれば、例外的に販売を許可するが、その場合も被告人会社に必ず連絡することという被告人Aの指示に反することであり、被告人A自身、乙山ストアに酒類を配送した際、店頭に酒類を陳列しているのを見つけ、止めるよう厳しく注意したことがあるのであって、被告人Aがこれらを容認していなかったことは明らかである。

原審において、検察官の請求により、乙山ストアで酒類を購入した客として尋問した一二名の証人のうち、被告人会社名を知っていたのは六名、丙川商店で酒類を購入した客として尋問した一三名の証人のうち、被告人会社名を知っていたのは四名であり、同証人らは、乙山ストア及び丙川商店が一般の酒の小売店と思った旨供述しているものの、その購入した酒類は少量であり、たまたま立ち寄って酒を買うことができたので、酒の小売店と思ったという程度の認識にすぎないことが窺われる。しかも、右の証人らが購入した酒類と本件の《別表略》記載の酒類との関連性は明らかではなく、また、B及びCが自家飲用の目的で被告人会社から購入した酒類も含まれていた可能性もある。

したがって、B及びCが被告人会社から配送してきた一部の酒類について、被告人会社との合意や被告人Aの指示に反する販売方法をとったことをもって、《別表略》記載の酒類販売が卸売に該当する事情であるとはいえない。

(b) 酒類の販売価格について

被告人会社のチラシ広告には酒類の銘柄ごとに消費者に対する販売価格が記載されている。被告人会社が使用した納品伝票は、昭和五五年四月から同年一二月までの間に、用紙が二回変更されているが、第一の用紙には、酒類の銘柄ごとに「参考市価」、消費者価格である「奉仕価格」が記載され、第二の用紙には消費者価格である「価格」が記載され、第三の用紙には、「市価」、「奉仕価格」が記載され、消費者価格が変更しているものもあり、「特価」の欄は空欄となっており、B及びC宛の納品伝票(控)には、単価欄又は特価欄に注文酒類の単価が記載されているものと、単に合計価格が記載されているものとがある。いずれにしても、B及びCに対する請求価格は配送時に計算されているので、基礎になる価格表があったことが窺われ、原審証人Bの尋問調書(第八回)添付の価格表は、同証人は見たことがないと供述しているが、納品伝票(控)と対比すると、同年八月ころのものと思われる。そして、B及びCに対する請求価格は右の価格表の「社員」価格によって計算されていることが窺われる。

他方、B及びCが客に引き渡す価格は、原則として、被告人会社が前記チラシ広告や納品伝票等に記載して指示した奉仕価格(前記価格表では「一般」価格)に従って決められたが、同人らは、従来から食料品等を掛け売りで販売していたこともあって、酒類代金を現金で集金できない場合には、五〇円程度の若干上乗せした価格をつけることがあり、被告人Aもこれを容認していた。

しかし、歩合給の営業社員等に販売価格について裁量が認められていることは一般にも見られることであり、チラシ広告の価格を大幅に上回る価格にすることは事実上不可能であった筈で、右の程度の裁量が認められていたことをもって、B及びCが卸売価格と小売価格の差額を取得するような状態であったとも認められないから、このことによって、B及びCが小売販売業者と同様であるとはいえない。

(c) 給与について

被告人会社がB及びCに固定給を支払ったことのないことは原判決が説示するとおりであるが、右の固定給が最低保障の趣旨で定められたものであれば、歩合給が二万円を超過した場合に固定給が支払われないのは当然のことであるから、このことだけで、固定給の制度が仮装であるとはいえない。

また、歩合給についても、Bらの販売実績に従って被告人会社が計算した金額を支給した事実のないことも原判決の説示のとおりである。弁護人らは、被告人会社で歩合給計算書を作成していたように主張し、原審証人C及び当審証人K子にこれを示して、その主張に沿う供述を引き出しているが、右の歩合給計算書は、本件酒類の授受後の昭和五六年分であることが窺われ、その内容を前記の価格表と対比してみると、伝票価格欄に消費者価格を記載したり、社員価格を記載したりして、歩合給を計算上支給済とするなど不正確であり、採用できるものではない。

被告人会社がB及びCに酒類を納品後にコンピュータにより作成する納品書及び請求書の各単価及び金額は前記の社員価格によって作成されているので、被告人会社の伝票上には計算上の数値としても消費者価格は現れない。したがって、原判決が説示するように、形式上は、B及びCは、被告人会社が配送した酒類の基準価格(社員価格)の合計額を支払い、これと消費者に対する販売価格との差額を利益としていたことになるが、これは、歩合給を被告人会社が販売する酒類の種類・銘柄について定めた社員価格と消費者価格の差額に販売数量を乗じて算出されることと定めたことの帰結であって、右のような歩合給の定めが不合理なものとまでいうことはできないし、これが卸売価格と小売価格の差額を利得するのと形式が同じであっても、内容的にも同一であるとはいえない。ちなみに、価格表によると、Bらの取扱いの多かった灘の一級酒は、原価一二七七円、一般価格(消費者価格)一四五〇円、社員価格一三五〇円となっており、右の原価を卸売価格であるとすると、本件の利益は卸売の差額利益とは異なる。

なお、原判決は、被告人会社は、会計処理上、B及びCの給与勘定を設けたことはなく、B及びCも、酒類の販売による利益については、食品等の売上げによる利益と区別することなく、事業所得として処理していたと認定しているが、被告人Aの原審第三〇回公判供述調書添付の補助簿写しによると、被告人会社は、本件後の昭和五六年三月から給料としての処理をしており、原判決認定の会計処理の不備、不正確をもって、被告人会社とB及びCとの給与に関する合意が虚構であるとはいえない。

(d) 販売代金の決済状況について

被告人会社が、B及びCに当初現金売りを指示し、本件酒類授受の代金は次回配送時に集金したいという意図を持っていたのに、そのように履行されず、被告人会社において、B及びCに対し、酒類代金を他の食料品等の代金と区別して管理することを要求せず、流用を許すなど同人らの自由な管理に任せたこと、Bには昭和五五年四月下旬ころから小切手や手形による決済を許し、集金猶予の期間も長くなったことが認められるが、B及びCらの地区が田舎で、従来からの掛売りの多い習慣上やむを得ない面もあり、その危険は被告人会社が負わざるを得なくなることになるのであるから、歩合給社員に対する業務管理の方法として、格別緩やかにし、その独立性を承認していたものとまではいえない。

(e) 販売経費の負担について

販売経費は原則として販売契約の当事者が負担すべきものであることはいうまでもないが、一般の常勤で定額給の従業員と異なり、本件のように契約締結過程に関与することによって歩合給の支給を受ける従業員の場合は、その関与行為の内容と歩合給の支給基準によって必ずしも一概に決せられないところ、原判決は、B及びCが酒類配達のための自動車のガソリン代を負担していること、Bが乙山ストアの前面道路寄りに「清酒大関」と表示のある看板を設置し、Cが丙川商店の道路側に二本の「清酒月桂冠」及び「清酒白鶴」の看板を設置し、いずれもその設置費用を同人らが負担していた事実をもって、同人らが単なる従業員ではないことの実態の現れであるとしているが、本件酒類の授受に関与するB及びCの行為が客の注文の取り次ぎと被告人会社から配送してきた酒類を客に配達し、代金を集金することであり、歩合給の支給基準も前示のとおりであることからすると、被告人会社とB及びCとの間で右のガソリン代を同人らが負担すると取り決めても、特に不自然であるとはいえないし、B及びCの前記の看板の設置については、原審証人B及び同Cの各証言と被告人Aの当審公判供述との間に、その設置の許否と費用の負担の合意の有無について食い違いがあるが、店頭販売を禁止していた趣旨などからしても、酒の看板を設置することには反対したとする被告人Aの供述が信用でき、そのような状況で敢えて設置した費用を被告人会社が負担しないことはやむを得ないことである。かえって、被告人会社が消費者に対する販売価格を記載したチラシ広告の新聞折り込み費用、転送電話設置費用等を負担していることは、B及びCの小売販売業者としての独立性を否定する方向の事情である。

(5) 以上に検討してきたように、本件酒類の販売に関する実態は、(a)認定の事実のように、B及びCを独立した小売販売業者とみるのは困難な事実があり、また、(b)ないし(e)に認定した事実の中には、被告人会社とB及びCとの間には卸売販売業者と小売販売業者との関係にみられるのと同種の要素があることをも否定できないが、他方、被告人会社が一か月に一回程度B及びCを含む従業員を招集して販売会議を開いていた事実も加え、B及びCを被告人会社の歩合給の従業員(社員)とみても不合理ではなく、(a)の本件販売契約の締結行為を基本として考えると、本件酒類の授受が被告人会社のB及びCに対する卸売に該当すると認めるのは困難である。

(三)  酒税法一一条一項は、酒類の販売業免許を与える場合に、販売する酒類の範囲又はその販売方法について条件を付することができるとしているところ、右の「酒類の範囲」については酒類の種類、品目で特定し、「販売方法」については、販売の業態、区域、販売先又は施設等の区分によるとの解釈が示されている。前者の種類、品目の特定は容易であるが、「方法」の解釈として、区域、販売先等の場所の意義まで含むものと解釈するのは、その言葉の通常の意義を超えている疑いがあり、特に、本件に関係する「業態」については、通信、移動、運搬の各手段の進歩により多様な態様が生まれることが予想され、「小売」については、店頭販売がその典型であるということはできないし、人が様々な形で関与する場合が考えられるのである。

被告人及び弁護人は、酒税法九条一項、一一条一項が憲法二二条一項に違反し、また、本件に酒税法九条一項、一一条一項を適用することが憲法二二条一項、三一条等に違反する旨主張しているところ、酒税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のためでも酒類販売業の許可制をとることについて憲法適合性が論議されているが、酒税法一一条一項により税務署長が酒税の保全上酒類の需給の均衡を維持する必要があると認めて付する条件についても、これが酒類販売業を許可する場合に付されるもので、職業活動の内容及び態様に対する規制であるとして軽視することはできない。すなわち、右条件に違反した場合には、酒税法一一条一項、五八条一項一号により処罰され、裁量的ではあるが、同法一四条二号、一〇条七号により酒類の販売業免許を取り消されるのであって、狭義の職業選択の自由そのものの規制としての免許の許可制に繋がる問題となるのである。したがって、このような規制が合憲的な措置であるというためには、その条件を付するについて必要性と合理性があり、具体的な基準のもとに付された明確な条件でなければならないものというべきである。

被告人会社の酒類販売業免許の「販売方法は小売に限る。」という条件は昭和三三年六月二三日に付されたものであるが、昭和四六年七月一日付け国税庁長官通達によれば、酒類販売業免許の一本化の趣旨から、「卸売に限る。」又は「小売に限る。」という条件は解除希望があれば解除するのを原則とすることになったこと、「小売」とは卸売に該当しない販売と解釈されていることからすると、本件の「小売に限る。」という条件は、禁止命令としては「卸売をしてはならない。」という意義に解するのが相当である。

そこで、本件の「小売に限る。」という条件に違反する行為に該当するかどうかは、本件酒類の授受が卸売に該当するかどうかを判断し、卸売に該当しない限り、前記条件に違反しないものというべきであり、卸売の意義についても厳密に解釈すべきである。

そこで、前記3の(二)の(3)に認定のような被告人会社とB及びCとの合意並びに被告人Aの同人らに対する指示、同(4)に認定の本件酒類の授受に関する実態を総合すると、本件酒類の授受は被告人会社のB及びCに対する卸売に該当しないものであり、したがって、小売に限るとの条件違反にも該当するとはいえない。

(四)  原判決は、被告人Aは、B及びCの酒類の販売が直接消費者に酒類を販売する小売販売業である実態を十分承知し、黙認していたと説示している。しかしながら、右説示は是認することができない。

すなわち、被告人Aは、C及びBが被告人会社の従業員(社員)となって支配下に入り、被告人Aの指示に従うことが基本であることを強調し、同人らは、被告人会社が販売する酒類について、消費者から受けた注文を被告人会社に電話等で連絡すること、右注文に従い被告人会社から配送された酒類を注文者に配達すること、現金売りをして代金を集金することを業務とすることを内容とする合意をし、本件酒類の授受期間中もこれを実行しようとしていたことは、前記3の(二)に認定した事実から明らかである。被告人Aが、B及びCとの関係で実行しようとしたことは、丁原時代から駐在社員であったG、H及びIとの関係と同じである。ただ、B及びCが従来から食料品雑貨店を営んでいたため、その本来の営業に引きずられ、類似の販売形態に陥る可能性がある点で警戒を要するところ、被告人Aが、B及びCの店頭販売の抑止のため厳しく注意していたことは、原審証人B及び同Cも証言するところであって、同人らの販売関与行為が小売酒店とみられることのないように努力していたことは否定できず、昭和五五年一一月五日税務署の強制調査が始まった後も、転送電話装置の整備、帳簿の記帳方法の改善などをしたことは、それ以前の違反行為を糊塗しようとしたものではなく、これを卸売に該当する違反行為であると認識していなかったためであることが被告人Aの原審及び当審における公判供述により窺われる。前示のように酒税法違反に問われることを極度に警戒していた被告人Aが、被告人会社の年間総売上げの五パーセントにも満たないB及びCとの本件酒類の授受について、酒税法違反による検挙或いは免許取消しの危険を冒し、Bらの違反行為を知りながらこれを放置し或いは黙認していたと認めるのは困難である。

したがって、被告人Aには、B及びCに対する本件酒類の授受が卸売に該当するとの違反行為の認識、すなわち酒類販売業免許の条件違反による酒税法違反罪の故意はなかったものと認めるのが相当である。

4  本件の第二の争点は、被告人Aが、B、C両名の無免許による酒類販売業を容易にしてこれを幇助したかどうかであるが、本件公訴事実には、本犯であるBの酒類販売業行為については、「昭和五五年三月ころから同年一一月ころまでの間、多数回にわたり、Dほか多数人に対し、清酒、ビール等の酒類を小売して販売し」と記載し、Cの酒類販売業行為については、「同年一月ころから昭和五六年一月ころまでの間、多数回にわたり、Eほか多数人に対し、清酒、ビール等の酒類を小売して販売し」と記載するだけで、具体的でなく、小売した酒類と《別表略》記載の被告人会社とB及びCとの本件酒類の授受行為との関連性は概括的であり、具体的には明らかでないが、Bは《別表略》記載の酒類を、Cは《別表略》記載の酒類をそれぞれの客に小売して販売した趣旨のようである。

そこで、被告人会社が、当時の本店所在地を販売場とする酒類の販売業免許を受けていても、前示のとおり、酒税法九条一項は、酒類の販売業をしようとする者は販売場ごとに所轄税務署長の免許を受けなければならないと定めているので、B及びCが被告人会社の従業員であっても、もし、乙山ストア或いは丙川商店において、同人らが《別表略》記載の酒類をそれぞれ継続的に販売したことになる場合には、無免許で酒類の販売業をした者に該当することになる。しかし、BがDほか多数人に対し小売した酒類と《別表略》記載の被告人会社とBとの本件酒類の授受行為との関連性は証拠上も具体的には明らかでなく、また、CがE(原判決の認定はF子)ほか多数人に小売した酒類と《別表略》記載の被告人会社とCとの本件酒類の授受行為との関連性は証拠上も具体的には明らかでなく、B及びCが、乙山ストア及び丙川商店において、《別表略》記載の酒類を小売したと認めるに足りる証拠はなく、かえって、前示のとおり、《別表略》記載の酒類は被告人会社が従業員であるB及びCを介して消費者からの直接の注文を受けて販売したものといえるから、B及びCが無免許で酒類販売業をした者に該当するとはいえない。

もっとも、B及びCが、被告人会社に連絡することなく一部店頭販売を行った事実のあることは前示のとおりであるが、右の行為が具体的に特定されていないし、しかも、前記認定のとおり、被告人Aは、B及びCに対し、当初から店頭販売を禁止し、店頭に酒類等が陳列されるなどしていた場合には厳しく注意し、同人らも被告人Aの指示に従うことを約束していたというのであるから、被告人AがB及びCの右販売行為を知りながら、これを容易にさせたものとは到底認められず、被告人Aに無免許酒類販売業の幇助の故意はないものというほかない。

5  以上のとおりであるから、被告人Aは、酒類の販売業免許の条件に違反した者とは認められず、また、B及びCの無免許による酒類販売業を幇助した事実も認められないので、論旨は理由がある。

二  よって、その余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、当裁判所において、更に次のとおり判決する。

本件各公訴事実について、前示のとおり、犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条後段により被告人両名に対しいずれも無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福嶋 登 裁判官 内藤紘二 裁判官 山下 寛)

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